ディオ・ブランドー × ジョナサン=ジョースター V

「ギャッ!!」
 ムチが空を切り、焼けるような痛みが手の甲に走った。
「またまちがえたぞッジョジョ!6度目だッ!同じ基本的なまちがいを6回もしたのだぞ!何度教えてもわからんやつだ!ディオを見ろッ!20問中20問正解だ!ディオの理解は完璧だぞッ!」

 ――ベッドに顔を埋め、ぼくは涙にくれた。
「グスグスッ!…グス…グス」
 ディオが来てから父さんは、ぼくに辛くあたるようになった。
 ディオに対しては、満面の笑みを浮かべて優しげに話しかけるのに…ぼくにはいつも、怒鳴ってばかりだ。

 それに……父さんがディオとふたりきりでいるところへ、僕が近寄ろうとすると…父さんはなぜだかひどく不機嫌に僕を叱りつける。
 ディオまでもが不可解な微笑を浮かべて、ぼくの瞳をじっと見つめる。
 ――これじゃあまるで…ディオの方が…父さんの本当の息子みたいだ。
 今ではもう慣れっこになってきたけど…それでも、あんなふうに父さんに罵声を浴びせかけられると、やっぱり悲しくなってくる。

「さびしいよ………ああぼくはこうして悲しみのまま、涙でずぶぬれになって死んで行くんだ…でも誰もぼくの亡骸を見ても泣いてくれないだろうな……ため息ぐらいついてくれるかな…ポリポリ」
 窓の向こうの寒々しい三日月を眺めながら、ぼくはしんみり泣き言をこぼした。

「フン!…そんなことでクヨクヨしたってコイン一枚の得にもならんぜ、ジョジョ」
「はっ!」
 冷たい微笑を含んだその声に、僕は弾き起こされた。
 開け放たれた扉の横でディオがポケットに手を突っこみ、顔だけこちらに向けて立っていた。

「ディ…ディオ……き…君、何しに……」
 しどろもどもに訊ねる僕のほうへ、ディオは流れるような優雅な足取りで忍び寄り…紅らみのさしたぼくの耳たぶを、すんなりした指先につまみとった。
「特別に今夜はぼくが、君に…勉強を教えてやってもいい」
 ハダの震えるようなディオの吐息が、ぼくの頬にかかった。
「え?…でもぼく、もう寝ようと……」
 肩に舞い降りた指先の妖しさにいたたまれず、ぼくはうつむいた。

「おいおいいったい何を言いだすんだ……!?」
 ポケットから取り出した、しわくちゃの白紙をぼくの目の前でひらひら振りながら、ディオは皮肉げに片目をつぶり冷笑してみせた。
(ショ…ショックだッ!か…彼は、ぼくの机の引き出しを開けて、かってに見ているッ!) 
 父さんにバレないよう隠しておいた赤点の答案を見せつけられて、ぼくは二重のショックに言葉を失くした。

「ジョジョ…正直いうとだ…おれはな、このまま君を落ちこぼれにしたくないんだ…幼なじみで共に同じ家名をしょって立つ君を落ちこぼれにしても 、おもしろくもなんともないんでな……」
 うってかわって思いやり深い優しげな表情をたたえ、ディオはぼくの隣へと腰をおろした。
 どぎまぎしているぼくに、ディオは頬がふれるほど近く顔を寄せ、すっと答案を指し示した。
「それはそうと、ジョジョ…このハデな赤点はどうしたことだい?どこをまちがえたらこうなるんだ?」

「……たとえば…だ」
 たっぷりと袖の吸いついたしなやかなディオの手首が、ぼくの目の前で白く美しい弧を描いた。
 ほの暗いランプの灯りがゆらめき…やわらかに照らし出されたノートの上に、ディオとぼくの翳を投げかけた。
「たとえば……この公式だ…この公式は、ちょうどこの形に変形できる」
 流麗な筆致で数式を綴っていく、類い稀なディオの横顔を……ぼくは切ないような甘酸っぱい想いで見つめていた。

 瀟洒なモスリンのクラバットタイに埋もれたすらりと白い象牙の首すじ…薔薇の花びらのように艶やかな風刺を秘めた真紅の唇…人の心を凍らせる硬質なきらめきを奥に隠した…琥珀色の瞳。
 ――ああディオ…君ってやつは、なんて気まぐれで残酷で…美しいのだろう。
 なぜ…君の傍にいるとぼくの胸は…こんなにも、息もつけぬほどに狂おしく締めつけられるのだろう!

「……きいてたのかジョジョ?……さっきから」
 ノートの間に不機嫌に万年筆を伏せ、ディオが鋭く瞳を細めて振り返った。
「う…うん」
 言葉につかえながら、ぼくはうなずいてみせた。
「OK!OK!ではジョジョ…ひとつこれを解いてみてくれるかい?」
 広げたノートをぼくのほうに押しやって、ディオはぼくの肩に腕をもたれた。

 絹糸のようなブロンドの髪の毛か…あるいは銀の光沢をおびたシャツが放っているのか……不思議な芳香がぼくの鼻孔をかすめた。
(こ…混乱してる……頭の中が混乱してる……)
 シーツの上に軽く腕をついて…瞬きもせず、ぼくは一編の例題を何度も何度も目で追った……。
 眩しくて意味をなさぬ、その数字の羅列を……。

 ぼくの首もとで揺れるベルベッドリボンの先端を、ほの白い指先に戯れに巻きつけながら…ディオは暗がりにとけこむような微笑を浮かべた。
「どうしたジョジョ?…なぜ止まっているんだい?」
 ほどけた真紅のリボンが、暗闇を舞って…白いノートの上に重なり落ちた。
 気の転倒したぼくはベッドの上に両手をつき、首を振った。
「いいからほっといて!…もう2度とこの問題は解けない気がする…ディオ、君が部屋に帰ってくれるまでッ!」

「…なんだと?」
 サッと怒気をおびたディオの肩先が、たちまちぼくを突き飛ばした。
「なっ!ディオ……」
「いいか…ジョジョもう一度言っておく!君とぼくが親友であるからといって、ぼくに逆らったりするなよな…ぼくは一番が好きだ、ナンバー1だ…君であろうと、ぼくの前で逆らわせはしない」
 組み敷いたぼくの両手をシーツにきつく繋ぎとめ、ディオは冷然とそう言い渡した。

 ――夜のしじまを彩るように…ひそやかな衣擦れの音が、秘密の韻律を幾重にも重ねた。
 犯しがたいディオの美しさに、魂をそっくり譲り渡してしまったような気持ちに襲われて…ぼくは思わず目をつぶった。
 隠微を極めたディオの愛撫から逃れるように…震えるつまさきでシーツをひっかきながら…ぼくは自身の心の変容におののかずにはいられなかった。

(…ぼくは今とても恐ろしい想像をしている!ぼくは…男のディオになにかしら罪深い感情を求めているッ!思えばぼくは、このままではいけないと思いながら…ディオの誘惑を突きはなす事を、土壇場でいつも避けていた!!…そ うして…この頃では…ぼくは……ディオとの営みに陶酔すら感じているッ!不可抗力の出来事であるかのように…自分の良心を言いくるめて!)

 なにかから逃れるように、ぼくは思わずまぶたの上に両手を押しあてた。
 わななくぼくの指先を、ディオは標本観察でもするかのような注意深さで、ゆっくりとつまみあげ、取りのけた。
「もうイッたのかい…?ジョジョ」
「え?ち…ちがう!」
 冷たい頬をぼくにくっつけ…ディオは嘲りとも愉悦ともつかぬ不思議な微笑をふっと漏らした。
「少しの間……このまま抱かせてくれよな……ぼくはまだ、終わっていないんでね…」

 全てが済むと…ディオは口もとの美しい線をかすかに歪め…闇に身を翻して出て行った。

 ――ぼくは2時間眠った…。
 そして……目を覚ましてからしばらくして、またしても許されざる誘惑に魂をゆだねてしまったことを思い出し…泣いた…。