ジョセフ・ジョースター × 花京院典明

「今夜も関節の具合が調子いいのォォ〜〜……ンン?」
 鼻歌を歌いながら義手の手入れに没頭しておったわしは、隣の部屋から聞こえてくる声にふと顔をあげた。
 低く抑えてはいるが、それは怒りに満ちた感情的なもので、どう聞いても言い争っているふたりの声だった。

 隣といえば…わしが気をきかせて承太郎と花京院にあてがってやったツインルームである。
 これまでも何度か壁越しにあいつらの夜の会話を漏れ聞くことはあったが、こんな殺伐としたやりとりを耳にするのは、まったく初めてのことだった。
 承太郎の事もさることながら…実の孫同様にかわいがっとる花京院の身の上が心配になったわしは、急いで義手に手袋をかぶせ、隣の部屋にかけつけた。

「おい承太郎!何をしているッ!」
 勢いよくドアを開くと、花京院が細い手のひらで口もとを覆い、両瞳にいっぱい涙を溜めて立ち尽くしていた。
「どうしたんじゃ花京院!」
「消えな…」
 額に青筋を走らせた承太郎が、鋭く学ランを翻しわしをにらみつけた。
「およびじゃあないぜ…隣の部屋から来てくれて悪いが…ジジイはおれたちの力になれない…」

「し…信じてくれ承太郎!ほんとうなんですッ…ぼくはポルナレフとは何もッ…」
 必死に取りすがる花京院を、承太郎は邪慳に振り払った。
「あまりなめた態度とるんじゃあねーぜ花京院、おれにもハズさせたことのねーピアスを、現にあいつと交換しているじゃあねーかッ!」
「ほ…ほんとうに違うんです承太郎ッ……き…君はぼくを…疑うの…か…?」
 絶句する花京院を、底光りする承太郎の眼が容赦なく睨みすえた。
「フン泣くか?おれとの友情に傷がついたというわけか?…いや!傷はつかんね…てめーとの間に友情なんぞ最初からねーからな」
 憎々しい調子でそう吐き捨てると、承太郎は花京院の体を手荒く突き放し、くるりと背を向けた。

「おい!きさまッ自分の恋…親友に向かってその言い草はなんじゃ!その言い草はッ!その口のききかたはッなんじゃ!花京院も男のくせに言われて泣いてるんじゃあないッ!」
 ショックを受けてすっかり蒼ざめている花京院を抱きかかえ、わしは承太郎を叱りつけた。
「おい承太郎!花京院に対して暴言はやめろッおまえが悪い!」
「やかましい向こうへ行け裏切り者」

「バカな…!花京院は特定の相手がありながら裏切りをするような男ではない!いきなり乱暴だぞッ…本気で突き飛ばすなんてどうかしているぞ!」
 厳しい調子で承太郎を諌めると、わしは涙で頬を濡らしている花京院の顔をのぞきこんだ。
「花京院だいじょうぶか……?君はわしの部屋に来なさい…さあふたりとも…もう今夜はねるぞ…頭を冷やそーじゃあないか」

 ――……。

「もしもしフロントかね…すまんが温めたレモネードを一杯持ってきてくれんかの…いや…そんなに急がんでもいい」
 チリン…
 受話器を置くと、わしはベッドのほうを振り返った。
 花京院は細い肩を震わせて、可哀想なぐらいにしゃくりあげていた。

「びっくりしたぞ花京院…どら」
 わしは花京院の傍らに腰をおろし、涙に濡れた長い睫毛に折りたたんだハンカチの縁をあててやった。
「泣いたら涙をふかなくてはな……」
「う…う…」
「鼻水もふいて」
「ぐす…」

「おい花京院気をしっかりもて…だいじょうぶか?」
 小刻みに嗚咽を繰り返す背中を優しくさすってやると、花京院は涙をポロポロこぼしながら首を横に振った。
「だめだなこりゃあ」
 わしは苦笑しながら、涙の止まらぬ花京院の体を腕の中に抱え込んだ。

 いつもなら決して他人に涙を見せるような子ではないのだが、承太郎から投げつけられた言葉に、普段押し隠している心の琴線を傷つけられてしまったのだろう…。
 こみあげる涙をぬぐおうともせず、わしの胸に顔をうずめて泣きじゃくるばかりである。
(くっそう〜〜花京院がわしの腕の中にいるなんて…そして泣いておるッ!なんとかしなければ…ああ…今夜ばかりは、承太郎と別の部屋にしてやるんじゃった…)

 妙齢の孫娘でも慰めとるよーな気分で何度となくその髪を撫でてやっとると、花京院はまだ震えの残る指先でわしのシャツを握りしめ、手の甲でグッ…と睫毛の涙を払った。
「す…すみませんジョースター…さん……取り乱して…ぼく……」
「よしよし可愛い子よ、このジョセフ・ジョースターがいるからには安心しろ!」
 わしは鷹揚に笑い、花京院の背中をさすってやった。

 この子…花京院は、不思議な魅力をそなえた少年である。
 齢よりはずっと大人びた心をしていて男らしい毅然とした立居振る舞いをみせるのに、その反面なぜか突然折れてしまいそうな妙な危うさを周りの者たちに予感させるのだ。
 年季の入ったこのわしですら、つい過保護なまでに情を傾けて甘く世話を焼いてしまうのだから…血気盛んな年頃の承太郎のやつが、嫉妬のあまり頭に血が昇ってしまったのもなんとなくうなずけるのだった。

「…ところで花京院や」
 うつむく花京院の肩をそっと抱き起こし、わしは穏やかに問いかけた。
「ポルナレフのことじゃが…たしかに『ピアス』を交換したのか」
「…!」
 花京院は針で刺されたように動きを止めた。
「承太郎とは交換したことがないのに、ポルナレフには交換してやったのかい?」

「……はい…しました…」
 行儀よくしつけられた細い指先を内側に握りしめ、花京院は涙まじりにうなずいた。
「承太郎はおまえが裏切ったといってるが、おまえにはその…何か…やましいところはあるのかい?」
「そういうことは…してないです…ほんとうに……」
 泣きはらした瞳にふたたび涙を浮かべて花京院がうつむいたので、わしはあわてて語を継ぎ足した。
「はっ!お…おい誤解するんじゃあないぞ、わしはおまえを信頼しておるからな!」
「――ええ……わかっていますジョースターさん……」
 花京院は睫毛を淡く濡らしたまま、すこしだけわしに微笑んでみせた。

 ちょうどその時コンコン…と慇懃にドアがノックされた。
 先ほど頼んでおいたルームサービスである。
「花京院〜〜♡いい子だからおまえはそのまま座っておいでね」
 ドアを開いてレモネードを受け取ると、多めにチップを渡してわしは再び花京院の傍に腰かけた。
「まずは飲みなさい、このレモネードを……」

 温かいマグカップに両手を添えさせ、ジンジャーで香りづけのされた琥珀色の液体を含ませてやりながら 、わしは花京院の神経にさわらぬよう柔らかな口調で尋ねかけた。
「ところでな…花京院、ひとつ聞いていいかな?」
「………」
 花京院は先細い指先でマグカップを抱え、うなずいた。

「おまえたち……どうも前々から様子がおかしいと思っておったが…いや勿論、疑ったからといって『隠者の紫(ハーミットパープル)』での透視など断じてしてはおらんが……やはり『そういう』関係なのかね?」
 花京院はたちまち頬を染めてうつむいた。
「そ…その……お言葉ですがジョースターさん…『そういう』関係って…何です?」
「羞ずかしがらんでもいい花京院…いつからそんな感情を抱きあっとるのかは知らんが…おまえら…男色関係…恋人なんじゃろ?」

「………」
 花京院は思い惑ったような瞳をして、揺れるカップの底をみつめこんだ。
 そして白い陶器の取っ手を握りしめ、コクン…と一度きりうなずいた。

「なあ花京院、忍ぶ恋というのはな…人を殺める罪よりもめざとく人目につくものなんじゃよ……それが片想いの恋でも両想いの恋でもな」
「……ジョースターさん」
 花京院は静かに居ずまいを正して、わしのほうに向き直った。  
「お察しのとおり…ぼくと承太郎は、普通の親友ではありません……もうずっと前からです……大事なお孫さんと道ならぬ関係に陥ってしまって申し訳ありません…」

 睫毛を伏せる花京院の肩に、わしは右手を重ね置いた。
「謝ることはないぞ花京院……他に優れた男どうしが惹かれあうのはごく自然なことなんじゃ…哲学者プラトンも『饗宴』の中でその必然性を熱く説いておる……それにどうやらジョースターの血すじは皆、同性と恋に落ちる運命にあるようでな…わしも若い頃、おまえたちのような経験をしたことがあったわい……もっとも当時のわしはイイカゲンな若造じゃったからの、おまえたちのように互いの姿しか目に入らぬほどの激しい一途な恋…というわけにはいかんかったが……しかし今でもそやつとの友情はいい思い出なんじゃ」

 花京院はひどく驚いた瞳をして、顔をあげた。
「…そのご友人、今はどうしておられるんです…?ジョースターさん?」
「残念じゃが、もうこの世にはおらん……50年前のある闘いでな、死闘の末に命を落とした……まだ20歳の若さじゃった……そやつは花京院、おまえと少し似たところのある青年での……誇り高くて生真面目で…憎たらしーほど女にモテた!……いッいや当然わしの方がモテたんじゃがなッ!……そやつは潔癖すぎる性格ゆえ、男の友人は少ないほうだったが、心の底は実に思いやり深く優しいやつでの…他人の身を本気で案ずることのできる…まさに真の友人と呼べるやつじゃったよ…」

 思わずわしが目頭を熱く潤ませたので、花京院もつられて悲しげに涙をにじませた。
「なあ花京院…それでかもしれんのォ、おまえを見ておるとついほっとけない気分にさせられてしまうのはな……わしがもしあと30年若かったら、むざむざ承太郎には渡さんかったわい」
「えッ…」
「イヒヒ冗談じゃ、いくら可愛くても孫の恋人に手は出せんわい」

「フフ……なんかドキッとしました」 
 花京院はナイトテーブルの上にマグカップを置きながら、はにかみ微笑んだ。
「でもうれしいな…だってぼく……ジョースターさんのこと大好きですから」
 花京院はそういって、無邪気な笑顔でわしに抱きついてきた。
「お…おいやめんかい」
 わしはテレ隠し半分に、花京院の背中をぽんぽんとたたくのだった。

「さあ花京院…涙もとまったようだし、ゆっくり休んであしたの朝また落ちついてから、承太郎のことは考えようじゃあないか…さあ布団に入りなさい…わしと同じベッドになってしまうが、かまわんね」
「ええ、もちろんですジョースターさん……」

 ――花京院の肩に毛布をかけてやり、灯りを消した後だった。
「ジョースターさん…ひとつだけお願いしていいですか」
 花京院が寝返りをうって、わしのほうに顔を向けてきた。
「なんじゃね花京院」
「今夜だけ…ぼく、ジョースターさんのお孫さんになって、腕枕してもらってもいいですか」
 言った後で花京院はちょっぴり羞ずかしそうに、毛布の端を頭にかぶった。

「やれやれ…甘えん坊な孫じゃのォ〜〜」
「フフフ…子供っぽくてすみません」
 腕まくりして左腕を伸ばしてやると、花京院はウレシそうにモゾモゾ毛布ごとわしの傍まで寄ってきて、細い首すじをのっけて微笑んだ。
 柔らかなクセッ毛がわしの腕にかかって、まるで女の子のようである。

 そのままふたりとも目をつむり、5分ほどもたった頃だった。
「――すみませんジョースターさん、ぼく…」
 すでに眠り込んだものとばかり思っていた花京院が、ふいにひっそりと呟きを漏らしたので、わしは枕から顔をあげた。
「どうしたね花京院」
「ジョースターさん…」

「もしかしたら…ぼく……気持ちの上で承太郎を裏切ってたのかもしれません」
「……それは…どういうことかの花京院」
 わしは穏やかに尋ねかけた。
「ぼく…承太郎がどれだけぼくのことを好きなのか知ってるくせに……いつでもぼくを独り占めしていたい承太郎の気持ちを知っているくせに……わざとポルナレフのピアスを身につけたりして、承太郎の気持ちを逆撫でしたんです…」

 ――花京院のその声音には、まるで自分自身に語りかけているような内省的な響きがこめられていたので、わしはしばらくの間…口を差し挟むのをやめにした。

「――ジョースターさんは気づいておられるかもしれませんけど……ぼくは承太郎と出逢うまで、ひとりも友だちのいない人間でした……嫌われているわけでもないのに孤高の人を気取って、自分から周囲との関係に壁をつくっていた……それはなぜか……それは…ぼくが自分以外の他人を心のどこかで見下していたからです……ぼくの中にはひそかに、自分がそこいらの人間とは違う、選ばれた人間であるという思い上がった意識が根ざしていた……だから……他人とうちとけられなかったんです……思えばぼくのそういう心の闇が、DIOにつけいる隙を与えたのかもしれません…」

「承太郎やジョースターさんと出逢い、初めて心から尊敬できる仲間をみつけて…ぼくは自分がすっかり過去の狭量な自分から、訣別したものとばかり思っていました……でも違った…ぼくの中には依然として、人を見下してしまうあの悪いクセが残っていた……承太郎があまりにもぼくを無条件で愛してくれるものだから、ぼくはいつの間にかその状態に馴れきってしまって、あたかも自分のほうが彼に愛を与えてやっているかのような、そういう傲慢な気持ちを心のどこかで抱くようになっていたんです」

「……承太郎がブチ切れたのはきっとピアスのせいだけじゃあない…ぼくの中に、承太郎の気持ちを軽んじる心があると、そう感じ取ったからじゃあないかと思うんです……さっきぼくが泣いてしまったのも、承太郎に責められたせいじゃあない……ぼくは…ぼくを孤独から救い出してくれた掛け替えのない親友に対してすら、自分の嫌な部分を直せていなかった……そういう自分自身が悔しくて、裂かれるような思いがしたからなんです」

 黙って耳を傾けておったわしは、それ以上花京院が深みにはまらぬよう助け舟をだしてやった。
「考えすぎじゃぞ花京院……もし仮におまえの言ったことがある部分で真実なのだとしても、それでもやはりさっきのことは承太郎に非があるし……なにより人間はそんなに完璧にはなれんのだよ……あまり自分を追いつめすぎると長生きせんぞ花京院」
「………」
 花京院は何も答えず、わしの腕に物思わしげな頬を伏せた。

「なあ花京院……」
 うつぶせた額にかかる髪の毛を指先でとりのけてやりながら、わしは語りかけた。
「おまえは自分で思っとる以上に、優しくて純粋で…とてもいい子なんじゃよ」
「………」
 そっと頭をなでてやると花京院は静かにまぶたを閉じた。
 そうして、わしの言葉に素直に聴き入るのだった。

「花京院…おまえもよく知っとるように、承太郎は生まれたときから、あのとおり何不自由ない環境で、母親の愛情を一身に浴びて溺愛も同然に育てられてな…その上、特に努力せんでも生まれつき肉体頭脳容姿人望あらゆる面において他の人間に抜きんでしまう、稀有な星の下に生まれついた子じゃった…そのせいか承太郎は齢とともに、人を人とも思わぬ傍若無人な性格に育ってしまっての……それこそが承太郎のあの並外れた強さの秘密でもあるんじゃが…わしは祖父として、孫の行く末をひそかに心配しておったんじゃよ」
「………」

「だが、承太郎はおまえと出逢って変わった…あいつは初めて母親のほかに、自分の命を賭けても守りたいと思う人間とめぐりあったんじゃ…花京院…おまえと出逢ったことで、承太郎は確かに成長した…人間として大事なものを知ったんじゃよ」
「そんな…承太郎に助けられてるのは、ぼくのほうなのに……!」
「いいや…承太郎にとって、おまえはなくてはならない存在なんじゃよ花京院」

「…本来他人の事に関心が薄く、自分の感情を表に出さない承太郎があれほどに感情的な言葉を吐いたのも、相手が他ならぬおまえなればこそなんじゃ……わしはな花京院、自分の孫がおまえのような…まるで正反対の素晴らしい相手とめぐり合えたことを心から喜んどるよ」
「…ジョースターさん」
「きっと今頃承太郎のやつも反省しとるはずじゃ…だがあいつは素直でないガキなところがあるからのォ…その点大人なおまえのほうからほっぺにチュウでもしてやりゃあ、機嫌を直しやすいかもしれんのキヒヒ」

「…ジョースターさん」
 花京院は睫毛をもたげ、すこし不安そうにきいてきた。
「もし明日仲直りできなかったら…ぼくを助けてくれますか?」
「もちろん助けてやるともじゃ!……わしは花京院が困っているなら、地球上どこでも24時間以内にかけつけるつもりヂャ!」
 胸を反らして大きくうなずくと、花京院はまたしてもわしに抱きついてきて、頬をすりよせ甘えかかるのだった。
「…・…ジョースターさん、う〜〜ん♡」
「これこれ花京院、困った孫じゃのう…さあ今度こそホントに寝るぞ明日も早いからの…ほれほれ、肩出してカゼひかんようにな」