「今日こそはまじめに告白するぜ」
一呼吸おいて、おれは玄関の檜戸をひき開けた。
花京院典明をこの家に連れ帰ってから、もう数日になる。
しばらくの間、安静が必要とみたじじいのはからいで、花京院はあれ以来おれの家で寝起きしているのだ。
学生カバン片手に、おふくろの部屋の前を通りかかった時だった。
「あ!」
おふくろの嬉しそうな声がした。
「今、承太郎ったら廊下で典明くんのこと考えてる♡今…息子と心が通じ合った感覚があったわ」
「…考えてねーよ」
「きゃあああああ!」
おふくろの平和な叫び声を背に浴びながら、おれは足早にその場を立ち去った。
離れの一室へ直行すると、花京院は座イスにもたれかかって静かに本を読んでいた。
「おい…今日はあまり顔色がよくねえーぜ、元気か」
縁廊に突っ立ったまま、おれは声をかけた。
花京院はチラリとこちらに瞳を流し、それから優美な手つきでページをめくりぬいた。
「答える必要はない」
「…やれやれ、かわいくねえ男だぜ」
ガラスの防御線を張っている花京院の横に、おれはかまわず座り込んだ。
花京院は細い唇をますますかたく結んで、不機嫌そうにページの上に視線を落とした。
「おいおい、かまえるな……ン?オレンジか…のどがかわいてたところだ、一つもらうぜ」
おふくろが持ってきたらしい柑橘類のひとかけを、おれは指先につまみあげた。
突然、花京院はうつむいたまま、冷ややかに読みかけの本を閉じた。
「承太郎…わたしの『心』はきさまに感謝はしているが、馴れあうのはきらいでね…かならず何かの中に潜みたがるんだ…引きずり出すと怒ってしまう…だからほっといてくれないか」
「ほっときたくてもそんなキャラクターしてねえぜ…てめーはよ……」
鬱積した魅力の翳るその横顔を、おれはフッとのぞきこんだ。
「やれやれ、てっとり早いのは!……てめーをブチのめすことだな」
「え?……はっ」
驚いて花京院は顔をあげた。
その唇をおれは、不敵に奪ってやった。
味わう間もなく、ピシャリと鋭い音が冴えかえった。
「バッ…バカなッ!正気かきさま!ゆるさん!」
肩で大きく息をして、花京院はキッと身構えた。
すんなり白い首すじが、たちまち怒りでうっすら色づいた。
「フン!承知の上の無礼だぜ!バレなきゃあ告白じゃあないんでな……」
手厳しい頬の熱を楽しみながら、おれはうそぶいた。
「おれはてめーを助けるために、この命を賭けた…だからてめーは自分の体をおれにどうされても、おれに文句はいえない!花京院…おまえにもおれの気持ちに見合ったものを返してもらうぜ…それはッ!てめーにおれの恋人になってもらう」
花京院は一瞬虚を突かれたような表情で硬直し、それから揺れる瞳でおれを睨みつけた。
「か…からかっているだけに決まっている…かるいジョークさ…ほら…いまに笑い出すぞ…今にきっと手を離す…そうでしょ?…ぼくをからかっているんでしょう?」
おれは首を振り、花京院の細身な体をグッと胸に引き寄せた。
「いいや言葉どおりだ…好きだといったのさ…おれはてめーに惚れている」
「く……!嫌がる相手に無理強いするのが、きさまの告白か?」
花京院は頬を紅潮させ、おれを突き放そうと細い腕に力を込めた。
「わからんのか?これからはおまえが、自分の殻にひとり閉じこもるのが、容易じゃあなくなってきたってことよ…それを断っておきたくてな……少々手荒ですまねーが」
おれはしっかりと花京院の手首をとらえ、くいいるようにその瞳を見据えた。
切れ長に澄んだ瞳が、奥深く暗いモノを底のほうに湛えているように…花京院の心もまた、静かな闇の中に沈んでいるのではないかと、おれには思えた。
押し潰されそうに苦しげに瞳を伏せて、花京院はおれから顔を背けた。
「承太郎ッ!ぼくの心に踏み込まないでください…まだわからないのですかぼくは言った…『ひとりでいるのが好きだ』と…しかしあなたはそれを無視した……あなたはぼくの平穏を壊してでも、ぼくに干渉しようと考えているなッ」
肩を震わせ逃れようとする花京院を、おれはやんわり押さえつけた。
「あばれるな、あやまってるじゃあねーか……花京院てめーは……決して干渉するなと言った…しかし…それは…無理ってもんだッ!おれは本気だ……逃げることはできねーぜ…」
「言わなくても見りゃあわかる!」
おれに組み伏せられたまま、花京院は腹立ちまじりに吐き捨てた。
「ぼくの心を…ひきずり出したことを…後悔することになるぞ…JOJO」
怒りに冷たく火照る横顔を投げ出して、花京院はそれきりあきらめたように口をつぐんだ。
おれは腕の力をゆるめ、花京院の輪郭をつまみあげた。
「押し倒したまんまですまねーが、告白をつづけさせてくれ…どうして、おれにうちとけることを避ける?…それを聞きてえんだ」
「さあ………そう簡単に口をわるとは思いませんが」
花京院は転がった自分の指先を見つめ、仮面のような微笑を浮かべた。
(さてと…きもっ玉ってやつをすえてかからねーといけねーようだな…)
自らの美しさを意識しているような硬質なその横顔に見入りつつ、おれは腹の底で考えた。
(ここで花京院の体をおれのモノにするのはたやすい……このままムクリと覆いかぶさって、ひと言やつに叫ぶ…『おい花京院!てめーが好きだぜ離さねえ!』)
(やつは軽蔑したように冷笑してまぶたを閉じ、オレに身を委ねるだろう…しかし花京院は決して、おれの『心』の射程距離内には入ってこない…おれの想いが純粋でないと判断したとたん、ヤツの『心的世界』は距離をおいた防御を発動してくる…他人を拒絶して過去のトラウマに閉じこもってな)
(これ以上無理強いしたら、確実に嫌われる……おれが本気だということを悟らさせなくてはならない、
欲しいのはヤツの心だということが伝われば、ヤツに近づくチャンスは必ずできる!なんとかしてヤツの心をとかさなきゃ…ヤツは落ちねえ……)
「グッドなかなかおもしろいゲームだ」
おれは花京院の体から手を離し、立ち上がった。
「おまえに対する気持ちに変わりはまったくねえ…てめーをあきらめようとはまったく思わねえ…しかし…このまま…おめーをナブって手に入れるってえやり方は、おれ自身の心にあと味のよくねえものを残すぜ!」
華奢なその身をしなやかにふせたまま、花京院は額に手をあて冷たく笑った。
「おめでたい人ですね…ぼくにはその気がないのにまだ気づかないで、熱弁をふりまいていますよ……これが本当の『振られた男』か……」
「…おかげさんでな」
帽子のつばで受け流して、おれは部屋を出ていった。
――そこは…かすかに見憶えある、白い教室の風景だった。
『……いつも息子がお世話になっております、花京院でございます』
のっぺり白く顔の塗りつぶされた担任教師に向かって頭をさげる母の横で…中学生のぼくはまるで他人事のようにぼんやりと、窓の外をみつめていた……。
『花京院さん…お宅の典明君は友だちをまったく作ろうとしません。いえ……いじめられているわけではないのです。
髪型と服装の点に少々問題が見受けられますが、授業態度は模範的で、成績は常にトップクラス…運動神経も悪い方ではありません。クラスの仕事なども、頼めば何でもソツなくこなしてくれますし…。
典明君に一目置いている生徒も決して少なくはないのです。こういう話を親御さんの前でするのもどうかと思うのですが、女子生徒にはなかなか人気があるようですし…。
そう…嫌われているというより…典明君自身が、まったく人とうちとけないのです。
もちろん話しかけられれば、あたりさわりない物腰で応対しているようですが…そうではなく……なにか、他の人間を心の底で見下し寄せつけない…見えない結界のようものを、周囲にはりめぐらしているといいますか……。
よくわかりませんが……とにかく、担任教師としてとても心配です』
――黒板の緑がサァッと渦の中にかすみ、白い闇に溶けていった。
気づけばぼくはひとり、ゆるやかな螺旋階段の手すりにもたれ…前の高校の制服を着て、ひっそり佇んでいた。
リビングの白亜のドアの陰からぼんやりと、父がソファーに腰掛けて英字新聞に目を通しているのが垣間見えた…。
『そういえばあの子…典明だが……最近大丈夫なのかね?二階にこもってばかりいるようだが…学校の方は』
『ええ…あのとおり成績にはなんの問題もないようなのですが…この前も……』
ティーカップを差し出す母の心配そうな声が、憚るようにひそめられた。
『困ったものだな……どうも昔からあの子には潔癖すぎるというか、変わったところがある……一人っ子で淋しかろうとつい気を回して、ゲームソフトなど買い与えすぎてしまったせいなのだろうか?親のひいき目ではないが、齢に似合わぬ分別もあり、礼儀作法もしっかりとわきまえた…手のかからぬよい子なのに……』
『それが…恥ずかしいことですが…母親である…わたしにも…なにが原因なのか……』
――いつの間にか父と母の姿は遠くかき消えて…幼いぼくは、白くざわめく教室の片隅にひとりポツン…と取り残されていた。
顔のないクラスの○○くんが、ぼくにアドレス帳を差し出した。
『友だちになろう花京院くん……名前かいてよ』
『え?……ああ…』
『ねえ花京院くんってさー…勉強はできるけど、ひとりもいないんだろ?友だち…』
『バカな、ちゃんといますよ…生まれた時からずっとぼくの隣にいるんだ…君には見えないのか?○○くん』
『え?なにをいってるんだい花京院くん…そこには誰もいないじゃあないか……君…だいじょうぶかい?』
『なんてやつだ…ぼくを疑っているなッ○○君!』
『ねえ花京院くん……悪いけどさ…やっぱりそのアドレス帳返してよ』
『え…?』
『友だちが言ってたの、やっぱりほんとうだったんだ……花京院くんは人と違う、なにかおかしいって……性格キツいし、近づくとよくないことが起こるって……』
――○○くんの顔が、クラスメイトの顔が…黒く醜く歪んで膨れ上がり、いっせいにぼくめがけて襲いかかった。
「花京院!」
「ッ……!ハァハァハァ……」
背中に冷たい汗をびっしょりかいて、ぼくは夢から引き戻された。
「やれやれ……だからいったろう顔色がよくねえとな、みろ熱が出ている……おとなしくしてろ」
大きな誰かの手のひらが、ひんやりぼくの額を覆った。
ぼくは指先を震わせ、グッタリ視線を横に傾けた。
すぐ傍らで…夜翳を背にした承太郎が濃い眉をしかめ、じっとぼくに見入っていた。
「花京院てめー、ずいぶんうなされていたようだが……悪い夢でも…みてたのか?」
寝汗に濡れるぼくの髪を撫でやり、承太郎がポツリと口を開いた。
闇を流れる釣燈篭の灯りに心奪われながら、ぼくは放心したようにつぶやいた。
「いろんな所を……通りました……夢の中や…心の中まで」
「……ああ…しかしもう…終わったぜ」
「……そう…ですね」
ぼくは弱々しく微笑した。
無防備なぼくの唇に、承太郎の唇が…そっと重なった。
切ない吐息を漏らしたぼくをみて、承太郎は口もとにフッ…と笑いを浮かべた。
「やれやれ花京院よ…こういうのはキライなんじゃあなかったのか?」
熱のせいなのか…それとも……。
じんわり熱いまぶたを閉じたまま、ぼくは静かに首をふった。
「ぼくはこんな気持ち、一度も経験したことがないのでなんともいえない…君に従うよ…なぜこんな気持ちになったのかは、
ぼくにもよくわからないんだがね……君のおかげで目がさめた…ただそれだけさ」
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