空条承太郎 × 花京院典明 ]Z

 ファンファンファンファン…
 アスワンの20km手前まで来たときだった。
 前方で起きていたバスとトラックの事故のせいで、おれたちの車は足止めをくらった。
 後部座席に座っているおれの腕の中で、花京院は依然意識を失ったまま、グッタリしている。
 どうにも心配で、いちいち頬に手を触れ、様子を確かめずにはいられない。

「う……承…太郎」
 かすかに花京院の唇が震えた。
 おれは思わず肩を抱く手に力を込め、色白のその顔を覗きこんだ。
「気がついたか……てめー大丈夫か」
「承太郎……」
 花京院は不安そうに眉をひそめ、おれの声のするほうに戸惑い気味に顔を向けた。

 応急処置として巻いてやった白い包帯に、うっすら赤く鮮血がにじんでいるのが痛々しい。
 何かを探すようにさまよい動く花京院の手を、おれは側からそっとつかまえた。
 安心したのか…花京院はギュッとおれにしがみつき、小さくもたれかかってきた。

「………ところで承太郎、ここは…?」
「心配するな……おまえとアヴドゥルを医者に連れて行くために、アスワンに向かっているところだ」
「アヴドゥルさんも負傷したんですか…」
「ああ…だが大事には至ってねえようだ……花京院…いいからてめーは病院に着くまでだまって寝てろ」
 隣のアヴドゥルは窓に寄りかかり、目を閉じて眠っている。
 おれはほっそりした首の後ろに腕をまわし、花京院の唇に軽くふれた。

「オホン…」
 顔をあげると…バックミラー越しに、じじいが神妙な顔でおれに合図を送ってきた。
 車が動き出した。
 小刻みに揺れる花京院の体温に、どーしようもねえ愛しさが募る。

 ――昼過ぎに、アスワンに着いた。 
 花京院とアヴドゥルに診察を受けさせている間、おれたちはいったん病院の外に出た。
 チラッと医師がもらしたところによると…花京院は重傷で失明するかもしれないという。

 じじいたちに誘われてカフェに入ったものの、花京院のことが心配で、結局紅茶にろくに口もつけぬまま 、おれは再び病院へ向かった。
 「先にひとりで歩いて行くゼ…」とおれが切り出すと、じじいは「じゃあわしらは茶でも飲みなおして、車で後から『ゆっくり』いくわい…」と、心得顔にうなずいていた。

 ――病院に着いた頃には診察はもう終わっていて…白い陽光の差し込む昼下がりの個室でひとり 、花京院はおれを待っていた。
「花京院…てめー目は…」
 ドアを開くなり、おれは尋ねかけた。

 淡いグリーンの入院着姿で、花京院は穏やかに微笑んだ。 
「大丈夫ですよ承太郎…瞳のところをきられたのではないらしいから…」
 おれは深く息をついた。
「……ヤレヤレだ…ぜ」
 自分でも驚くほどホッとしたのがわかる。

 窓際の丸椅子にゆっくり腰をおろすと、花京院は包帯を巻いた顔をおれのほうに向け、明るく笑いかけてきた。
「キズはすぐに治るらしいよ…ぼくが中学のころ、同級生が野球のボールで眼球をクシャクシャになるぐらいつぶされたが、翌日には治っていたよ…眼球の中の水分が出ただけらしいんだ……」

 おれは、中学時代の花京院を見てみてーなァと思い…そしてふと妙な違和感をおぼえて、その横顔を穴のあくほどにみつめた。
 窓から射しこむ光が強すぎるせいなのか……。
 花京院の影が、不安なほどに…薄い。

「…どうしたんです承太郎」
 黙りこくっているおれの前に、花京院の手が心配そうにかざされた。
「なんでもねえ……ただてめーとはここで、離ればなれになるな…と思っただけだ」
 一瞬の沈黙の後…花京院の指先が、おれの頬に優しくふれた。
「いいえ承太郎……ぼくはいつだって……承太郎のそばにいますよ…」

 衝き動かされるようにおれは立ち上がり、花京院を胸深くうずめていた。
「花京院……こんな時にいうのもなんだが…今、ここで!…てめーを抱きてえ」
 おれの耳もとで花京院は明るく笑った。
「なにいってるんです承太郎……ぼくは一応ケガ人だぞ」
 翳りのないその声が、なおさらおれの胸をしめつけた。
 こいつの細い肉づきまでハッキリわかるぐれーに、こんなにも強く抱きしめてるっていうのに……胸によぎる…この不安はなんだろう。

「…………」
 …それ以上おれは何もいわなかったが、花京院はおれのキモチをそれとなく察したらしく…黙って背中に腕をもたれかけ、自分からベッドに倒れこんだ。

 ――花京院と出逢って30日あまり……おれはどれだけこいつのことを好きになっていたのかを、知った。
 かすかに開いた花京院の唇を吸っても吸っても物足りなくて…ケガしてるというのにおれは、花京院の頬を両手にギュッとさしはさみ…細い鼻すじと、薄く引き結ばれたその唇をくい いるようにみつめ続けた。

「承太郎…?どうしたんだ、君らしくないな」
 いつもはすぐ行為に入るおれが、一向にその先に触れないので、包帯の下で花京院はおかしそうに微笑った。
「てめー花京院」
 花京院の手首をしっかりとこの手につかみ、不安をもみ消すようにおれは想いをぶつけた。

「この際だからこれだけは言っておく…この空条承太郎…他人をこれほど好きになったことはねえッ!
理屈じゃあねえ……てめーが…男だとかそんなことはマジでどーでもいい……いいか花京院…おれには…てめーじゃなきゃあダメだってことだ…
おれより細身なこの体も…時折みせる気まぐれな冷淡さも……おれとは違うテメーの全てに…どーしようもねーほど惚れている!…だから…………」

「……だから?」
「離れるんじゃあねえ花京院…おれのそばからッ!」
 おれの下で、花京院は波打つ髪をシーツに流し、ニッコリうなずいた。
「ええわかってますよ承太郎…もちろんぼくもそのつもりです……女だったらぼく…承太郎と結婚したいくらいですよ…」
 花京院をキツく抱きしめ、おれは絞るように言い聞かせた。
「てめー花京院……『女だったら』…なんていう言葉は使うんじゃあねえ……おれが惚れたのは…男のおめーなんだぜ」

 ――雨上がりの庭のようにしっとりと懐かしいハダの匂いにつつまれて、後はもう…なにもかも忘れた。
 遠くまばらに靴音のこだまするほか、物音一つせぬ静かなその空間は…残り少なくなった花京院とおれとの時間を、この世のあらゆるものから隔絶し、凝縮させていた。

「んッ…うッ…承太郎ぼくッ…」
「あ…もうこんな……」
 ベッドがきしみ、病室には不釣合いな音を響かせた。 
「…激しくするなよ承太郎…見えないから…どうにも勝手が違ッ……」
 白い包帯で目隠しされてるせいで、花京院の唇の赤さが妙にエロい。
 それにもまして…はだけた入院着の隙間からのぞく華奢な鎖骨のくぼみに…いつも以上に心奪われる。

「包帯巻いてるおめーを抱くってのはどーも…変態ぽいな」
 花京院の髪をかきやり、おれはその首すじ深くに唇を押しあてた。
「ンッ…承…太郎、病人に向かって不謹慎…だ…ぞ」
 感じやすいカラダを震わせ、花京院は羞じらうように顔を横たえた。
「やれやれ……病人ならこんな声は出さないはずだぜ花京院」 
 耳もとで軽くイジメてやりながら、おれはいっそう激しく花京院を愛してやった。

「んッ…承太郎……手加減し…て……ッ」
 普段人前では絶対に出さない甘い声を漏らして、ほっそりした指先を薄く握りしめている花京院は…本当に…なんともいえない色気があった。
「あ…承太郎、包帯ッ…が…」
 包帯を押さえようとした花京院の手を、おれはゆっくりもぎとった。
「なーに…あとでおれが巻きなおしてやるぜ……典明

「え…?承ッ……」
 聞き返した花京院の手首をそのままベッドの奥まで沈めこみ、濡れた花の唇にピッタリ封をした。
 深くくちづけを交わしあったまま…おれはやみくもに花京院のカラダを攻めた。
 ……そうすることで…胸の不安をごまかした…。

 ――消毒薬の匂いのしみこむ眩しいシーツの上、互いのハダのぬくもりをを…痛いほどに確かめ合って、どれだけ時間が過ぎただろう……。
 花京院の腕からほどけるように力がぬけ…続いておれも深く息を吐いて、花京院の肩に沈み込んだ。

「フ……フ……承太郎の…まだ出て…る…」
 ゆるんだ包帯に片手をあてがい、花京院はおれの腕の中でかすかに微笑った。
 顔をあげたおれは…包帯からこぼれた頬の走りキズに、ハッとした。

 ああ……おれはこいつを愛してる!
 レロレロエロいこいつの舌も…おれより細い指先も……。
 今は見えねえ澄んだこの瞳も……。
 赤く痛々しい…このキズ痕も……!
 全部ひっくるめて…愛してる!

(なあ花京院……おれはマジだぜ……)
 腕いっぱいにおれは花京院を抱きしめた。

 ――それが……おれたちがこの世で交わした最後の抱擁だった…。

「数日したら包帯がとれる……すぐに君たちのあとを追うよ……」
 包帯を巻きなおしてやっているとき、いつもの涼やかな口ぶりで花京院はそう囁いた。
 ちょうどその時…窓の下で、聞き憶えある車のエンジン音がおれたちの時間の終わりを告げた。
 窓際に手をついて、おれは花京院をみつめ…その唇に…そして赤いそのキズ痕の上に…黙って別れの口づけをした。

 病室のドアに手をかけたときだった。
「ねえ、承太郎……ぼくは」
 澄んだ声が、歌うように背中を流れた。
 振り返ると花京院は、ベッドの上で静かに手を組んでいた。
「どうか…したのか………」
「………」

「…ぼくは……君が思っているより…ずっと……」
 それだけ言って、花京院は静かに微笑った。
 フワリとカーテンが翻り…風に運ばれた花京院の髪の毛が、陽光に白く溶けこんだ。

「…………ああ…知ってるゼ花京院」
 おれはうなずいた。

 …眩しいほどの…空の蒼さだ…。

 目を細めたおれに向かって、花京院は狙い撃ちするように指先をふり向け、かすかに笑ってみせた。
「やれやれだぜ…」
 おれは口もとで笑い返し、学帽を深くかぶりなおして…ふたりの病室を後にした。