バアァアァアァ…
「……………」
乾いた町並みを、おれは振り返った。
街の喧騒に紛れて、かすかに耳に届いたそれは…アスワンを離れて以来おれの隣から消えてしまった、あの声によく似ていた。
「どうした?承太郎…やはりだれか尾けてくるのか?」
「いや…何者かが我々を…呼んだような声がした」
おれは道行く人の影に視線を走らせた。
(まさか…あいつなのか?…)「イ……イギー?イギーッ!」
アヴドゥルの叫び声に、おれはハッと振り向いた。
石壁の角から、イギーがよろめき出て来たのだ。
…満身創痍の上、左前足を失っている!
驚きの声をあげイギーに駆け寄る仲間たちの横で…おれはひとり遠くへ視線を投げた。
「………イギーの声じゃなかった…たしかに人間の言葉でオレたちを呼んだんだぜ」
「イギーは敵と遭遇したようです……」
突然背後から浴びせられたその声に、おれの心臓はドクンと音を立てた。
「死にかけて少年につれられているのを手当てしたのはSPW財団の医師です……ぼくの目と同じように…」
「ああ!!お…おめーはッ!!」
ポルナレフが叫んだ先には……あいつがいたッ!
スレンダーな体にピシリと姿勢よく制服を纏い、黒のサングラスに瞳を隠して…花京院が静かに立っていたッ!
さりげない指先でサングラスを外しながら、少しはにかむように花京院は目を細めた。
ンドゥールの『ゲブ神』に斬りつけられたときの走りキズが、優しい瞳の上下にうっすら赤いキズ痕を残しているのが…痛々しくも妙に色気がある。
「花京院ンンンン――ッ!」
「みんなご無事で……」
笑顔をみせた花京院に、皆が我先にと飛びついた。
「花京院じゃあねーかッ!おいッ!!」
「会いたかったぞ!」
「おいおまえッ!もう目はいいのかッ!」
ポルナレフやじじいやアヴドゥルが、花京院をもみくちゃにして喜びの声をあげる中……おれは胸がつかえ、ただ立ちつくしていた。
――あれは数日前…エジプト上陸を果たし、アスワンに向かう途中…砂漠での事だった。
一瞬の隙を突き、水の刃が花京院の両眼を、白い肌ごと鋭く切り裂いた。
花京院はアッと声をあげて弾け飛び、意識を失った。
噴き出した鮮血が、乾いた砂の上に噴水のように飛び散った。
息が…止まるかと思った。
初めてだった、このおれがあれほどに動揺したのは……。
DIOとの決戦も目前に迫り…ヘタすればこのまま二度と花京院の顔を拝めねー
まま、別れ別れになることも…覚悟していた。
それが今!
おれの前に……しかもすっかり元気になって、花京院が立っているッ…!
「キズは治ったのか?」
じじいの問いかけに、花京院はサングラスをかざしながら朗らかに答えた。
「ええ…もう大丈夫です…少しキズは残ってるんですが、しっかり視力はもどりました」
花京院は最後におれの前まで来ると右手を差し出し、やっとこれだけ呟いた。
「承太郎………」
「………………」
目は口ほどにものを言う。
おれは返事のかわりに、ただグッと花京院の手を握り返した。
再会の喜びも束の間、おれたちはイギーの案内で、ついにDIOの居館を突きとめた。
意を決して踏み込んだおれたちは、執事ダービーを倒し、ケニーGを倒し…アブドゥルとイギーの犠牲と引き換えにDIOの寵臣ヴァニラ・アイスを倒し…。
日没前にようやく、館の最深部…DIOの潜む塔のてっぺんに辿り着いた。
――いよいよDIOの柩を前にしたときだった。
赤い陽光を身に受けた花京院が、何かを悟ったような厳かな表情で呟いた。
「後悔はない……今までの旅に……これから起こる事柄に……ぼくは後悔はない……」
思えばあの透明すぎる花京院の横顔を目にした瞬間に、おれは…おれたちの運命を知ってしまっていたような気がする…。
迎えた日没……DIOの世界。
ぼくたちは、二手に分かれた。
ぼくとジョースターさん。承太郎とポルナレフ。
ぼくらがまずDIOとのカーチェイスに持ちこみ、距離をとりながら攻撃を繰り出した。
DIOのスタンド『世界(ザ・ワールド)』にエメラルドスプラッシュをはね返され、追い詰められながらも…ぼくは、DIOの攻撃パターンに潜む
、ある特性に気がついた。
ヤツのスタンドの射程距離は、ぼくのスタンドのそれに及ばない!
ぼくはサングラスをはずし、後ろにいるジョースターさんに告げた。
「思いつきました…DIOのスタンドの正体をあばく方法を……」
――ぼくは自分のこの『法皇の緑(ハイエロファント・グリーン)』を見るとき、いつも思い出す。
小学校教師
(花京院さん、お宅の典明くんは友だちをまったく作ろうとしません…そう…嫌われているというより、まったく人とうちとけないのです…担任教師としてとても心配です)
母
(それが…恥ずかしいことですが…親である…わたしにも…なにが原因なのか…)
子供の時から思っていた。
町に住んでいると、それはたくさんの人と出会う。しかし、普通の人たちは一生で真に気持ちがかよい合う人がいったい何人いるのだろうか…?
小学校のクラスの○○くんのアドレス帳は、友人の名前と電話番号でいっぱいだ。
母には父がいる。父には母がいる。
『自分は違う』
TVに出ている人とか、ロックスターはきっと何万人といるんだろうな。
『自分は違う』
自分にはきっと、一生誰ひとりとしてあらわれないだろう。
なぜなら、この『法皇の緑(ハイエロファント・グリーン)』が見える友だちは誰もいないのだから…。
見えない人間に真に気持ちがかようはずがない。
承太郎に出逢うまでずっとそう思っていた。
承太郎のことを考えると、背中に鳥肌が立つのはなぜだろう。
それは…ぼくという存在を真に理解してくれた、初めての人間だったからだ。
ぼくが闇に心迷わせた時、無言のぬくもりでぼくを導いてくれた承太郎!
数十日の間だったが…ぼくたち二人、気持ちがかよい合っていた……この世の誰よりも…!
ぼくは『法皇の緑』を見て考える!
(こいつを昔のように、誰にも気づかせなくしてやる…そう!DIOの正体をあばき倒すため、完璧に気配を消してやろう)
ぼくは瞬時に、法皇の結界をDIOの周りに張りめぐらしたッ!
DIOの射程距離の二倍…半径20mエメラルドスプラッシュの結界を!
ドドンバゴバゴバゴバゴドンドンドンドングォオオオ…ドォオオオ…
「チッ!……これ…は……」
結界の中心に捕らえられ、身動きを止めたDIOの20m目前…。
屹立した塔の先端にぼくは降り立ち、DIOに鋭く指を突きつけた。
「触れれば発射される…『法皇(ハイエロファント)』の『結界』はッ!」
「ヌッ!」
「すでにおまえの周り半径20m!おまえの動きも『世界(ザ・ワールド)』の動きも、手にとるように探知できるッ!くらえッ!DIOッ!半径20mエメラルドスプラッシュを―――ッ!」
ドッバァー―――ッ
「知るがいい……『世界(ザ・ワールド)』の真の能力は…まさに!『世界を支配する』能力だということを!『世界(ザ・ワールド)』!!」
ドドドドドワヮン!…
――次の瞬間、ぼくは吹っ飛ばされていたッ!
空中を飛びすさるぼくの鮮血が…連続写真でも見ているかのようにゆっくりキラキラと宙に舞った!
バグオ!!ドドドドドドド…
激しい衝撃とともに、ぼくの体は何か固いものにめり込んで、止まった。
痛みは…なぜか感じない……。
何か冷たい液体が…体の下からボゴボゴ噴き出しているようだ……。
ひどく、冷静な自分に驚く……。
(い…いったい……何が起こってしまったのだ…やられてしまったのか………う…動けない……だめだ…致命傷のようだ…声も出ない……指一本さえ動かせない…)
重たいまぶたをかすかに開き…ぼくは、右横の時計塔をぼんやりと見上げた。
(今…カイロは5時15分か…日本は時差があるから夜の12時ごろか…
父さんと母さんは何をしてるんだろう…もうねむっているのだろうか?心配かけてすみません)
ぼくが最後に思うこと…それは日本にいる両親のことではなかった…。
両親のことを深く思ってはいたが…最後に浮かんだDIOのスタンドへの疑問と…残された承太郎の悲しそうな顔の前に…両親たちへの思いは頭からふっとんだ。
(なぜ…全部一度に…同時に切断された…!?なぜ!?なぜ…?少しの時間差もなく…時間差…時間…時間…『時』)
ドドドドドドド…
(わ…わかった…ぞ……つ…伝えなくてはこのことをッ!この恐ろしい事実をなんとかして…)
急激に意識が…分散していく…。
もうほとんど映らぬ左目を見開き、精神力の残滓のすべてをふりしぼって…ぼくは時計塔の刻針に照準を合わせた。
「さ………最後のエメラルド・スプラッシュ…」
ドゴォオオン…バアァァ…
もう……時計塔も…見え…ない……。
(メ…ッセージ…で…す…
これが…せい…いっぱい…です…ジョースター…さん…
受け取って…ください……伝わって………ください……)
「……………」
(さようなら……承太郎…さよな…ら……ぼくの愛しい…人……)
――花京院が、DIOのスタンド『世界(ザ・ワールド)』の前に崩れ去ってから7分後…。
おれの怒りの前に、DIOは完全敗北…死亡した。
輸血によりじじいを蘇生させたあと、おれはヘリコプターで搬送されてきた花京院の遺体に面会した。
「………花京院」
白い麻布に包まれ安置されていた花京院の亡骸を、おれは両腕にそっと抱え降ろした。
あまりに軽くなってしまったその身体に、おれは一瞬…目を閉じた。
むごたらしくえぐられ、冷たく水浸しになっている胴体と違って……柔らかな月の光に照らされた花京院の顔は、まだほんのりと温かく穏やかで…ただ眠っているかのようだった。
「てめー花京院……こんな時間から、のん気に寝てんじゃあねーぞ…」
今にも目を醒ましそうな花京院のやわらかな髪の先を、おれはそっとつまみあげ、悪態をついてみた。
返事の代わりにポタポタ…と、冷たい血の雫が手の甲に滴り落ちた。
白い唇についた鮮血を親指の先でぬぐってやりながら、おれは静かに呟きかけた。
「戻って来ねえものが……多すぎると思わねえか?……なァ…花京院……」
窓から差し込む蒼光の加減で一瞬、花京院は微笑ったように見えた。
凛と透きとおったその頬を、おれは両手にさしはさみ…いつもしてやっていたように髪かき撫でて…もう二度と離さぬよう…不器用にくちづけた。
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