空条承太郎 × 花京院典明 Y

 エジプトへの出発も、あっという間に明日に迫った。
 離れのぼくの部屋で、身のまわりの品を手さげカバンに詰めていると…承太郎がやってきた。
「おい花京院、今ヒマ……ではねーみてーだな」
 ぼくは振り返ってニッコリ微笑んだ。
「せっかく来てくれたのにすまない…旅支度しているところなんですが色々と足りなくて」

「…そういやてめーは、あれ以来ずっと家出同然におれん家に居候してるもんなァ」
 床柱にもたれかかり、承太郎はタバコに火をつけた。
「家出だなんて人聞き悪いなァ…ホントのところは、承太郎がぼくを帰してくれないんじゃあないか」
 苦笑しながらぼくは最後のシャツをキレイにたたんだ。

 無断で休学したことを両親に問い詰められるとマズいぼくは、実家に荷物を取りに帰ることはせず、承太郎が昔着ていた小さめの衣類を…といっても、ぼくも178cmはあるのだが…を借りて持っていくことにしている。

「ねえ承太郎…ぼく、今から足りないモノを買いに行くので夕方まで留守にしますね」
 ぼくは立ち上がり、クル――ッと承太郎に背を向けた。
 承太郎の手がぼくの肩をひきとめた。
「待て……ついでだから、いっしょに行ってやるゼ」

 石造りの池を右手に濡れ落ち葉のしっとり匂う庭をぬけ、ぼくは承太郎とふたり、重厚な構えの数奇屋門をくぐった。
 ぼくの家もそこそこ大きなほうだが、この屋敷の豪奢さにはさすがに度肝をぬかれる。
 実を言うと一度、この庭で迷子になりかけてしまったほどだ。
 これほど何不自由ない環境に生まれながら、承太郎が今のような強靭な性格に育ったのは、彼に流れるジョースター家の血と、そして…お父さんが不在がちという少し特殊な事情のせいなのだろう か…。

 神社の鳥居の前まで歩いてきた時、承太郎がフッ…と目の奥に笑いを浮かべた。
「そういや花京院…てめーには、ここで襲われたんだったな」
「いや…あの時はすまない、承太郎……」
 承太郎の左ヒザに朱線を切り込んだあの日の自分を思い出し、ぼくは立ち止まった。
「そういえば…」
 承太郎を残し、ぼくは石畳横の草むらに駆け込んだ。

「驚いたな……まだあったぞ」
「どうした花京院?」
 後から追ってきた承太郎にぼくは、草むらに落ちていたキャンバスを見せかけた。
「あの時、スケッチ画に絵筆を入れると同時に、ハイエロファントの触手で君に切りつけたんだ……ヒザのキズ、まだ残ってます…よね」

「残っちゃあいるが、そんなモンもうどーでもいいぜ……それより」
 呟くなり、承太郎はぼくの手からヒョイとキャンバスをとりあげた。
「花京院てめー…雑だが、なかなかうまく描けてるじゃあねーか…」

「おい…承太郎ッ…イイカゲン返してくれないか!」
 あまりジロジロ承太郎がぼくの絵を眺めるので、ぼくは恥ずかしくなって腕をのばした。
「ダメだね花京院…この絵はおれがもらっておく」
 承太郎は腕のとどかぬ高さまでキャンバスを掲げると、空いたほうの手でぼくの手首をつかまえ唇を重ねてきた。

「きゃあJOJOォ――!!」
「わああああ…た…たいへんよ――ッ」
「JOJOが誰かとキスしてるわ…」
「あっ…しかも相手は男子よ」 
「彼ッ…数日前に転校してきた…花京院典明くんだわッ!」

「ムウ……」
 承太郎はぼくをつかんだまま、苦々しげに背後の女の子たちを振り返った。
 ぼくのほうからは女の子たちの表情がつぶさに見える。
 承太郎につかまえられ、女性みたいに顔を傾けてキスを受けていたぼくを、女の子たちは遠慮のカケラもない好奇と羨望と驚愕のまなざしで遠巻きにしていた。
「JOJOなんで男子となんかキスしてたのよ?」
「ちょっと花京院くん!…ってオカマなの?」

 ピクリとひきつったぼくの表情を感じとったのか、承太郎はこれまでぼくには見せたこともないようなものスゴい形相に唇をひんむき、怒鳴りあげた。
「やかましいッ!うっとおしいぞォ!」
 一瞬にしてその場は水を打ったように静まり返った。
 承太郎は彼女達などこの場に存在せぬがごとき面構えで、長い指先にぼくのあごをつまみあげると、ゆっくり味わうように熱のこもったくちづけを寄こしてきた。

 ぼくとのことを微塵も隠そうとしないばかりか、ぼくの名誉のために身を挺してくれた承太郎の覚悟にあてられて 、もはやぼくも開きなおって承太郎の胸に手を預け…熱いキスを楽しんだ。
 火照る頬をくすぐる夕方の風が、小気味のいいほどに冷たく心地よい。
 承太郎は優しく唇を離すと、わずかばかり眉をしかめ、ぼくの腕をひっぱった。
「花京院…はやいとこ買出しにいくゼ、日が暮れちまう」

 石段を降りるぼくらの背中を、女の子たちのざわめきが追ってきた。
「へえー」
「へえー」
「へえー」
「へえー」
「あのふたり!けっこういいんじゃない?」
「そお?わたしは似合いすぎててくやしい!」
「あたしも」
「あたしも」
「あたしも」

 ぼくらが店を後にしたときには、陽はもうすっかり暮れてしまっていた。
「すこし寒くないか承太郎……なにか首に巻くものでも持ってくればよかったんだが…」
 そう呟いて横を向くと、承太郎は相変わらず学ランの襟を全開にしたままだった。
 その時…。
 ぼくはふと、あるモノの存在を思いだした。
「そういえば……承太郎……ぼくが承太郎と決闘した、あの日のことなんですが」

「ああ……どうかしたか?」
 ぼくの手からビニール袋をつかみとりながら、承太郎が帽子のツバをひいた。
「あッすみません承太郎、ぼく自分で持つのに………いや、あの時…ぼくが首にかけてたショール、あれ…どこにいったか知らないか?」
「ああ……あれか、あれは」
 承太郎はビニール袋を肩にひっかけ、さらりと呟いた。
「捨てたぜ」

「え?」
「てめーを担ぎあげたときには、まだ肩にかかってたんだが……あれが視界にちらつくと、どうも不愉快極まりないんでな…悪いが道端にかなぐり捨てといたゼ」

「…………」
 ぼくは黙り込んだ。
 承太郎は知らないはずだが…あのショールはもともとDIOが…その身に羽織っていたモノなのだ。
 そうして彼は、魂のぬけたぼくのカラダをさんざ慰みものにして弄んだ後で、気まぐれにもそのショールをぼくに譲り与えた……。
 自分を失っていたぼくは……あの布切れをまるで、至高の拝領品のように肌身離さず押しいただいていたのだ。

 正気に立ち返った今でさえ……死と隣り合わせだったあの幾夜もの狂艶の記憶が、甘美な血の苦痛すら伴って断片的に、この肉体の奥深く蘇ってくる。
 くそッ…あんな惨めで汚れた『過去』……!
 この手で葬り去ってしまいたい!

 夜目にも、拳を震わせる険しいぼくの表情が伝わったのか…承太郎がぼくの頬にそっと手をあててきた。
「何を考えてる花京院……捨てちまったこと、怒ったのか?」
「いえ……あんなモノは、そうしてくれて……よかったんです」
 我知らず、声が硬くなっているのがわかった。
 ぼくの『過去』…。
 あのショールがぼくの視界から捨て去られたところで、この身に刻まれた忌まわしいあの事実だけは…どうあっても消せはしないのだ…。

「…それより…承太郎…急いで帰りましょう、日本も今夜で最後ですからね」
 苦い微笑を浮かべながら、ぼくは承太郎を促した。

 その夜、ぼくは…承太郎の隣で布団を敷いて寝た。
 承太郎が誘ってくれなくても、ぼくはそうしたろう。
 ……ひとりで眠るには、その晩のぼくの部屋は、あまりに暗く不安すぎた。

 横たわって布団の上で手をつないだまま、ぼくは硬く蒼ざめた唇を開いた。 
「承太郎…ぼくはまだ君に、秘密にしていることがある」
「やれやれ、あらたまった顔して…どうかしたのか花京院」
 ぼくは冷たく汗ばむ指先で、承太郎の拳を握りしめた。
「承太郎…君にこれ以上隠したままには…できない……ホントのことを言わせてもらおう……ぼく…は」

 そこまで口にしたとき、承太郎が止めるようにグッとぼくの手を握り返した。
「そんな蒼白になってまで…おめーが打ち明け話する必要はねえ」
「大いにある…ぼくの過去をきいたら君は、ぼくを…汚らわしいと感じる可能性がある」
 自分で自分の傷をナイフでえぐっているような気分に突き落とされながら、ぼくはその言葉を口にした。

「花京院よ……」
 呟いて、承太郎はしばらく言葉を切った。
「…てめーが思いつめてるのは、DIOとかいう野郎とのコトか?…だったら気にする必要はねーゼ」
 ハッと息をのみ、ぼくは承太郎の横顔を凝視した。
「承…太郎どうして……それを……」

「おれにお持ち帰りされてるとき……ウワゴトで、てめーが何やらそんな感じのコトを口走っていたからな……」
「じ…じゃあ承太郎……君は、すべてを知ったうえで、このぼくを…?」
「ああそうだぜ……おれはな花京院、てめーの過去もなにもかも、全部ひっくるめた上で…てめーという人間を受け入れてるつもりだゼ」
 承太郎は空を見上げたまま、キッパリとした口調でそう告げた。

「承太郎……」
 覚悟を決めていたとはいえ、正直なところぼくは…承太郎を失わずにすんだ安堵で胸が震えた。
「花京院てめー…」
 承太郎が身を起こした。
「それだけ動揺してるところをみると、まだキズが塞がってねーようだな…心のキズってヤツがよ」
 そういって承太郎は、ぼくの胸に手をあてがった。
「そこんところのキズは、この空条承太郎が塞いでやるぜ……愛情とかいうクスリでな」

 ぼくの隣にもぐり込んでくると、承太郎は静かにぼくの肩を抱いた。
「今日は抱いても、イヤがらねーのか?花京院」
「そんなこと……」
 脆い微笑が、頬の上で壊れてしまいそうに優しく震えた。
 承太郎の首すじにしがみつき、ぼくは小さく頭をもたれた。
「あたりまえです……抱いてください承太郎………」

 しんと冷えきった部屋の中、ぼくらの体はピッタリ重なりあった。
 承太郎に愛されるたびに漏れる吐息が、凍える闇をほの白く染めた。
「ねえ承太郎……ぼく…どこまでも、君についていっていいですか…」
 ハダにしみとおる承太郎のぬくもりが…言葉にならぬ承太郎の激しさが……ただ、何よりも愛おしいと思った。