チュチュチュチチュチュン…
「う……ん…」
静かな小鳥のさえずりで目が醒めた。
清潔な和布団に横たわったまま、ぼくは縁側のほうへ顔を向けた。
枕にこぼれたぼくの髪を、障子紙の淡い光がやわらかに染めている。 承太郎が巻いてくれた額の包帯に手をやりながら…ぼくはあの日のことを、ぼんやり思い返していた。
――最初に浮かんだのは…神社の石畳。
石段を降りてくるぼくを見つけた瞬間、ハッとグリーンがかった承太郎の瞳。
…ハンカチを交わした一瞬、触れあった指と指。
殺す相手だというのに、その肌の感触に…心の奥底が不思議な懐かしさで白く震えた。
それから…学校の医務室。
スタンド越しに突然塞がれた、ぼくの唇。
殺意と相反する奇妙な感情が、凍った心臓を止まりそうなほどに締めつけた。
ボコりあいの末、承太郎に担ぎ上げられお持ち帰りされて…こうして今…ぼくは承太郎の家で寝ている。
ぼくを抱える承太郎の腕は、荒っぽくはあったがどこか優しくて、振り払おうと思えばたぶんそうすることも出来たのに、ぼくはただじっと目をつぶったまま承太郎の肩にもたれていた。
そして…自らの命の危険を冒してまで、敵だったぼくを救ってくれた承太郎。
張りつめたその強いまなざしに、ぼくは瞬きすら忘れ、ただ吸い込まれた…。
「典明くん♡もう起きてる?」
突然障子の向こうから、ホリィさんの朗らかな声がした。
「おはようございます、ホリィさん…起きていますよ」
居ずまいを正し挨拶を返すと、障子が薄く開いてホリィさんが顔をのぞかせた。
「おはよう、昨日はよく眠れた?」
「ええ、ありがとうございます……おかげさまで、ぐっすり眠れました」
「まあよかった♡朝食つくってあるんだけど…こちらに運んできましょうか?」
「いえ、ホリィさんお気遣いなく…体のほうはもう何ともありませんから、自分で伺います」
微笑しながらぼくは答えた。
ホリィさんは障子の桟に指先をあてて、尋ねてきた。
「典明くん、ちょっと中に入ってもい〜い?」
「…?…構いませんが」
見守っていると…ホリィさんは木箱を抱えて、ぼくの枕もとに座り込んだ。
「はい典明くん、こっちを向いてちょうだい…額の包帯、巻きなおしてあげるわね♡」
「あ……これはどうも」
端座しながら、ぼくはすこしだけ赤くなってしまった。
承太郎のような高校生の息子がいるとはとても思えない、美しく若々しいホリィさんとふたりきり…。
手ずから包帯を取り替えてもらうというのは、なんとも面映ゆい。
しかも…親子だから当たり前なのだろうが、ホリィさんの口もとは承太郎にどこか似ていて…こんな女性がいたらなァというぼくの理想まさにそのもので……。
唇がくっつかんばかりの近さで見つめられ、白い指先で触れられたぼくは、不謹慎にもドキドキしてしまった。
包帯を巻き終わったホリィさんが、真顔のぼくを覗き込んだ。
「あら典明くん…顔赤いわ?熱があるんじゃあないかしら」
「い…いえ…それは大丈夫です心配ありません」
慌ててホリィさんに笑いかけたぼくは…ふと眉をひそめた。
余計なことに気をとられて今まで気づかなかったのだが、ホリィさんの頬が妙に蒼ざめている。
「…ホリィさんこそ顔色がすぐれないようですが…大丈夫ですか?」
ホリィさんは腰に手をあて、かわいらしくピースをした。
「イエ〜イファイン!サンキュー!あたしなら大丈夫よ、典明くん」
「…そうですか…それなら…いいんですが……」
明るいホリィさんの笑顔に和みながらも、ぼくは不得要領にうなずいた。
「ウフフところでね、典明くん……」
イタズラっぽく目もとを笑わせ、ホリィさんは人差し指を振った。
「?」
「典明くんは…この前の夜、承太郎と何をしていたの?…きゃーききたくないききたくない♡」
耳を塞ぎはしゃぐホリィさんに、ぼくは苦笑してしまった。
「そこんところですが…おそらくホリィさんが想像しておられるとおりかと……」
ホリィさんはぼくを振り返って微笑んだ。
「フフフやっぱりね♡典明くんも承太郎のこと、好きになってくれたのね?」
「ええ……たぶん…はじめて逢った瞬間から……好きでした」
ひき込まれる様に、ぼくは微笑み返した。
このホリィさんという女性のそばにいると、なぜだかぼくは…心を隠すことを忘れてしまう。
承太郎とのキスを見られてしまったせいなのか、その人柄のせいなのか、不思議なことに、このひとに対する限り、自分の秘めた内心を知られることがまるで苦にならないのだ…。
木箱に消毒薬をしまいながら、ホリィさんは柔らかく呟いた。
「典明くん…承太郎ってね……あんなふうにちょっとぶっきらぼうだけど、ほんとはと〜っても心のやさしい子なの」
「ええ……ぼくもそう思います」
ぼくはうなずいた。
「血だらけのあなたを担いで連れて帰ったときの承太郎ね……無愛想だけど、とっても心配そうな目をして、典明くんの顔をのぞきこんでいたのよ……そのとき、ちゃあんとわかってしまったの…『承太郎はこの男の子に恋をしたんだわ』って」
「お義母さん…………」
「こんな素敵な男の子が、承太郎のことを好きになってくれて、とっても嬉しいわ…典明くん、これからも承太郎をよろしくね」
木箱をヒザの上に置いて、ホリィさんはニッコリ微笑んだ。
ぼくは胸の前で左手を握りしめ、うなずいた。
「もちろんです…ホリィさん」
「あら…もうこんな時間!急いであと片付けをしなくっちゃ……典明くん、準備ができたら台所までいらっしゃいね♡」
ホリィさんは笑顔を残して部屋を出て行った。
――ホリィさんが倒れたのは、その直後だった。
制服に着替えたぼくが台所の手前までやって来たとき、緊迫した皆さんの話し声が聞こえてきた。
その内容を理解した瞬間、『エジプト同行の宣言』がぼくの口をついて出た。
――翌日、ぼくは承太郎といっしょに、高校へ休学届けを出しにいった。
その帰り道…承太郎と肩を並べ神社の境内を歩きながら、ぼくは微笑み呟いた。
「JOJOのおかあさん…ホリィさんという女性は、人の心をなごませる女の人ですね……そばにいるとホッとする気持ちになる…こんなことをいうのもなんだが、女の人と恋をするとしたら…あんな気持ちの女性がいいと思います……守ってあげたいと思う…元気なあたたかな笑顔が見たいと思う」
承太郎は複雑な顔をしてぼくの肩をひっつかみ、欄干に押しつけた。
「なんだと花京院!…聞きずてならねーな」
ぼくは肩をすくめた。
「イヤだなあ…ぼくが恋人として認識しているのは、あくまで承太郎…君ですよ……ホリィさんのことは、女性としての理想像だっていう意味です……それに第一、ぼくは当分女の人と恋をすることなんてありませんよ」
(…ホリィさんと約束しましたからね…)
「……ケッ」
不機嫌そうに眉を寄せながら承太郎は欄干に片手をつき、ぼくの肩を乱暴に引き寄せて唇を塞いだ。
されるがままおとなしく身を委ねていると、次第に優しいキスになった。
相変わらずぼくの肩をキツくつかんだままの承太郎を、ぼくはそっと指先で宥めながら…ホリィさんのこととなると少しだけムキになる承太郎が、なんだかカワイイなと思った。
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